人間関係

当ページのリンクには広告が含まれています。

アメリカは先週Labor Dayの三連休が終わり、火曜日からいつもの日常生活に戻りました。

私、整理整頓が本当に苦手でして。しかも物を捨てれない性格だったのですが今回棚の書類や雑貨の整理をしていたら、去年親友ちゃんから頂いたカードを見つけました。

彼女(以下Kちゃん)と出会ったのは、以前ブログでも紹介したコロワルパーク。私の息子とKちゃんの長女Nちゃんの誕生日が1ヶ月違いで、あの時公園にいた私の近くにNちゃんが来て話しかけてくれました。そしたらKちゃんが来て初めましてのご挨拶。当時Kちゃんはオアフ島ではなく、ハワイ島に住んでいて旦那様がオアフ島に月1〜2回の出張のお供として彼女も一緒に来てました。その日にライン交換して、連絡をとりつつオアフ島に来るたびに一緒に公園だったりビーチに行ってプレイデートしました。そして、Kちゃん家族がオアフ島に引っ越しすることになって、まだ家具とか電化製品とかも買えてなくて色々と大変だった時に、私が彼女にちょっとしたおかずと白米を炊いてお裾分けしたんです。まだその頃はお互いそこまで仲がいい!っていう関係でもなかったけど、困った人を見ると助けたがる私の性格が行動に移り、Strangerの手作りご飯なんて食べてくれるか分からなかったけど、聞くだけ聞いてオファーし、そしたら彼女は躊躇なく喜んで受け取ってくれました。そこから私たちはママ友の枠を越えた育児の親友、心友、戦友となり、何かあったら互いに連絡しあい、子供たちを一緒に遊ばせ、その後お昼ご飯を一緒に食べて、互い子供を昼寝させるのに一緒にお散歩して、その後今はもうないけどワードにあったスタバでお茶して色々と話すのが私の日課となってました。

そのカードにはこんなことが書いてあった。

「おかずをお裾分けしてもらって(白米も)あの時本当に感動した。この世に親切な人がいる!って興奮して〇〇(旦那様の名前)にテキストしたくらい。マジで嬉しかったなぁ〜」

元々ホテル業でも働いてたからのか、よくカカアコでは道に迷った観光客の日本人を見ると声をかけて道案内してあげるのも私にとっては普通のこと。人を助けることは、人の心の優しさを反映している。別に自分が優しい!って主張したいわけではない。けど、あの時彼女とNちゃんのためにご飯を作ったことだって全然手間だとは思ったことは一切なかった。その優しさで、相手が助かるのであればお返しなんて求めないし、むしろ求めていない。それが本当の思いやりだと思う。

でも、この世にはそんな人の思いやりや優しさを自分の利益のために悪用し利用する人もいる。詳しくはここには書かないけど、そういう人が実際に存在すると思ってもいなくて今でもほんとびっくりしている。別にいいんです、結局私たちは別の道を歩んでお互い自分らしく人生を生きているので。まああっち側の言い分もあると思うし、私側の意見だけで起こったこと全てを理解することはできない。だけど、やっぱり出会って当初に「ん?」と感じた違和感や感覚は最終的には外れていなかったんだと思うと、自分の直感って結果合ってるんだなって学びました。

色々と前向きに捉えようと必死な自分もいる反面、私は思っていた以上に悲しく、苦しく、心が傷ついていたんだとのちに知った。だって、今まで親切に接した相手への思いやりを都合の良いように利用されたって感じたから。だからこそ、ふと手にしたKちゃんがくれたカードを読んだときは、涙が止まらなかった。

“His endurance lay rooted in the conviction that his trials were not an end, but only the temporary means to a much greater purpose and only a chapter in the grand and glorious story of redemption.” – Peter Chin from a book, Blind-sided by God.

片付け中に整理してた本をオープンして目に刺さったこの言葉。
そう、ここが終わりでなはい、むしろ始まりなんだと。
この言葉を励みとして、これからきっと何かの縁があることを心から信じて。

No turning back, no turning back…

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次